経験詳細

■中学時代

当時は生徒全員がどこかの部活に所属する時代だったので、

ほんのちょっとだけ経験があったという理由で卓球部に入部。

 

1年生が20人くらい、2年生は10人くらい、3年は16人くらい。

5月に入部し夏休みまでは球拾いとランニングや基礎トレーニングのみ。

 

卓球台は4台で3年生が占領し、すきを見て2年が使う感じ。

 

1年の夏休みにやっと球を打つことができるようになるが、

1年生には1台が与えられ、そこに20人が群がる。

 

指導は一切なく、勝手にやっとけ そんな感じ。

全くの初心者が1台に20人。

うまくなるわけもなく、2年の夏を迎える。

 

2年生の夏休みにやっと2年生が3台使えるようになる。

2年の部員も少し減って16人くらい。

1台に4人入っての練習が始まる。

 

顧問の先生は卓球素人でたまに見にくるだけ。

中学生なのでほとんど遊びのような状態だった。

 

こんな感じであっという間に3年生の夏の大会が終わった。 

 

技術的な話でいうと

自分はペンのドライブ型であるが、当時はカットマンが多かった。

それは両面同色のラバーがOKだったためで、

片面裏ソフト、もう片面に同色のアンチラバーを貼り、ラバーで勝てる時代だった。

(のちに同色NGになったが)

 

といことで練習相手はカットマンが多く、

カット打ちドライブがそれとなく出来るようにはなっていた。

 

これが今現在の自分のドライブの型になっている。

 

 

■高校時代

普通の公立高校で特にスポーツが強いわけでもなく、

どちらかといえば勉学を優先するような学校だった。

 

部活入部も絶対でなかったが、卓球部に入部。

1年生は15人くらい、2年6人くらい、3年はゼロ。

 

顧問の先生はこれまた素人。

ほとんど見に来ることもなく、

ほぼお遊びの部活だった。

 

特に結果もなく、2年の秋の大会で終える。

ここから10年以上の間、卓球から離れた。

 

 

■20代

卓球と無縁状態

 

 

■30代

たまたま学生時代に卓球をちょっとやっていたというだけで

会社関係のローカルな卓球大会に参加することになったが、惨敗。

年一回の大会に参加しては惨敗が数年続く。

会社の同僚からは練習しないから負けるのだと言われるも、

敢えて練習しなかった。

 

しかし30代ともなれば、ビールでお腹が出てきて、体形も丸くなり、

何か運動しようと思い、

会社の同僚がやってる卓球クラブに参加させてもらうようになる。

 

あくまで体形を元に戻そうということなので、練習のみで満足していた。

その当時は硬式テニスにも取り組んでいたので

卓球はそこそこでいいかなという甘い考えで参加していた。

 

ところがそのチームで大会参加メンバーが足りないので出て欲しいと頼まれ、

その頃から次第に卓球にのめり込むようになる。

  

やっとやる気が出てきたが、体力は低下しており、週一回の練習で筋肉痛が続き、

全く結果が出ないまま40代に突入する。

 

 

■40代~現在

体力アップのトレーニングしたり、食事も色々考えて、

とにかく卓球のためになることをやっていた。

 

体脂肪も10%を切るところまでもっていった。

 

週1回の練習が週2回になり、週3回になった頃から、

ようやく結果が出るようになってきた。

(戦歴を見てね)

 

週3回の練習の時期は

体の動きキレがよく、40代でも技量が向上している

感覚があったが、仕事も忙しくなったりで、

週2回をなんとか続けていた。

 

そうこうしていると人生において大きな選択が訪れる。

仕事を転職し、新たなチャレンジとして今までとは全く異なる分野に飛び込む。

 

と同時に当クラブを立ち上げる。

自分で立ち上げれば自分の都合で日時など決められるという思いから。

 

また今まで練習していた土曜日は仕事のため、練習なしになる。

      

ここから平卓クラブが始まった。

(当初はひらいわ会という名でした)

 

今現在、週1回の練習で技術レベル、戦術面の向上をいかに図るか、自分なりの考えをもって

臨んでいる次第です。

 

中学、高校で部活程度の適当な卓球をしていても、40歳を過ぎてからでも成長できる要因は

考える卓球を意識することだと思います。